12月に入ると、いよいよ道南・日本海側の渡島檜山地方においても、ショアから狙うサクラマスとアメマスが開幕します。今回はこの釣りについて、少しだけ昔話を書いていきます。
高校時代、訳も分からず日本海サーフに立つ。
僕は中学生からルアーフィッシングを始めていて、当時は道南・茅部地区の川でトラウトを狙ったり、海で根魚をワームで狙ったりしていました。
釣行はほとんど兄に連れて行ってもらっていて、週末になると土日は釣り三昧。
少しだけゲームもやっていましたが、釣りの方が好きでした。
そんなある日、高校生の頃に、兄がこれまでに見たことのない魚を家に持って帰ってきました。
それがアメマス。
当時の僕はその魚がただの珍しい魚で、「海で釣れた」ということがピンと来ていませんでした。
僕が高校生だったのは20年以上前。その頃はスマートフォンやパソコンはそれ程普及しておらず、釣りの情報といえば新聞や雑誌くらい。僕はそのどちらもあまり見ていませんでした。もっと言うと、釣りの雑誌があるっていうこと自体知りませんでした(笑)
なので、これから始まるショアからアメマスを狙うという行為が、初心者にとってどれだけ難しく、過酷なのかも全く知る由もないまま、道南の松前サーフに立つことになります。
道南松前の有名ポイント「二越」。
兄が釣ってきた「珍しい魚」を釣るべく、向かうは道南・松前。
なのですが、当時の僕にはアメマスがどこで釣れるとか、何を使って釣るのかとか、事前の知識は全くありません。
ありませんが、とにかく兄が用意してくれていた数千円の振出竿(シーバスロッド)と数千円のリール(シマノ エアレックス4000だったと思います。)に4号のナイロンラインを巻き、ルアーはなんだったけなぁ?
全く思い出せません😅
と、こんな感じで、全くの無知のまま、ただただ兄の車に揺られ、2時間弱で二越に到着。
余談ですが、20年前といえば、道南の海で狙うトラウトといえば「アメマス」のみでした。今のようにサクラマスが盛んに釣れだすようになったのは、ここ数年のことでしょうか。
釣りの雑誌を見ても、サクラマスの「サ」の時も載っていないような時代。振り返ると、今では考えられないような「サクラマス絶対釣れない大荒れの海」によく行ってました(笑)
アメマスは「海が荒れていると、大物が岸よりする。」と言われていて、土日祝はどんなに海が大荒れでも問答無用で釣りに行っていました。
あの頃を経験しているにもかかわらず、今の僕はなるべく波の穏やかな日を選んで釣行するようになり、軟弱になってしまったなぁ、とつくづく思います。
余談はさておき、松前の有名ポイントである二越に到着してビックリ。
いきなりの爆風向かい風。多分、波の高さは4m近くあったかと思います。風も真正面(西風)が6mといったところでしょうか。
今の僕なら、ほぼ間違いなく何らかの理由をつけて釣りに行かないような天候です。
いきなり心が折れそうになる中、それでも「あの珍しい魚が釣りたい!」と思う一心で何とかサーフに立つのでした。
大荒れのサーフ。しかし、奇跡が起きる‼
そんななか、前述のタックルで挑みます。
季節は1月だったと思います。
晴れ間もありましたが、気温はマイナス。しかし、当時はウェーダーではなく無謀にも長靴を履いていましたので、到底波打ち際に立つことはできません。
それでも幸いなことに、ルアー自体が確か40gくらいジグだったはずなので、何とかキャストはできました。
ただし、リールにまかれていたのは鮭用のナイロン4号ライン。当時の僕のキャストでは、爆風向かい風の中で40mも飛べば御の字の状況。
訳も分からずリトリーブしても、ルアーが波にもまれて巻いている感触もなしく、しばらくの時間は何をしに来ているのかもわからなくなるような状況でした。
1時間くらい続けた頃でしょうか。初めて40gのルアーを使ってみて、何となく少しだけ沈めると「巻いている感覚が味わえる」とか、ジャークすると「テレビで見たことのあるやつっぽい」みたいな、遊び感覚が生まれ始めました。
多分、あまりにも釣れないことに加えて、強風と襲い来る波に、何とか自分を飽きさせない方法を考えていたのでしょう(笑)
そこから10分くらいジャーク&フォールっぽいことを続けていると、
「ガツンッ‼」と衝撃が走りました!
そう、初めてのアメマス釣行で、しかもこの状況の中でです!
もうどうして良いかも分からず、ただひたすらにリールをゴリ巻きしていました😅
そして上がってきたのは、50㎝を少し超える中型のアメマス。
丸々と太っていました。
初めてアメマスを釣った興奮で、遠くで釣りをしていた兄のもとへ魚をもってサーフを猛ダッシュε≡≡ヘ( ´Д`)ノ もう今ではできません。
その頃は「魚は釣ったら持って帰って食べる」が習慣になっていたのですが、兄から「逃がそう」と言われたときはちょっとショックでした(笑)
アメマスは本当は調理次第で美味しく食べることのできる魚ですが、いまだにキャッチ&リリースが主流の魚ですよね。
最初に兄が釣ったアメマスは、どうしてもこの珍しい魚を家族に見せたい一心で持って帰ってきたのかもしれません。
僕が最初につったアメマスは、優しく海に返し、その後2匹目を狙いましたが、当然そんなに甘くはなく、1匹を釣った余韻を味わいながら、そして、後ろ髪をひかれながら、そしてそしてその後、僕の釣り人生の中の主軸となる魚に憑りつかれながら、車中爆睡で帰路につきました。
その後、アメマス(海アメ)がもたらす釣りへのスタンスの変化。
それからの僕は、毎週末、兄と二人で道南松前方面に車を走らせて、海アメを狙うようになりました。
最初に海アメを連れてきてくれたルアーは多分途中でロストしてしまい、その代わり、ダイワのファントムを使用。20年前といえば、多くの海アメ狙いのアングラーがファントムを使用していたのではないでしょうか。
その頃はまだ海アメ専用とか、北海道限定とかのキャッチコピーのついたルアーは「0」だったはず。
今は本当にルアーの種類が豊富ですね。
海アメを狙うようになってからしばらくして、海アメ特集が掲載されていた某有名釣り雑誌を兄が買ってきました。
始めてみる「釣り雑誌」。
僕にとっては、釣りの情報を紙媒体で見るなんて、ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、「釣りキチ三平」だけでした(笑)
雑誌を開いて読んでみると、釣りの専門性やアングラーのこだわり、ルアーやタックルの種類の豊富さに驚きましたΣ(・□・;)
僕はその時初めて「釣りの世界」を目にしたのかもしれません。
それまで釣りは、僕の中では「遊び」とか「暇つぶし」みたいな感覚がありましたが、その雑誌を読んでから、釣りは「ライフワーク」のような感覚になっていきました(仕事じゃないんだけど)。
その後しばらくは兄と一緒に海アメを狙いに日本海へと赴くのですが、私が22歳の頃、兄は結婚。
僕との釣行はここでほぼなくなります。
ここから僕一人の釣行がスタートします。
そして今「ヒトニツリ」を書いています。
もしも海アメに出会っていなかったら、僕の釣りはただの暇つぶし、もしくはお遊びのままだったかもしれません。
その後、ターゲットが海アメからサクラマス(海サクラ)へとシフトしていき、ボッチ釣行から新たな仲間が増え、二人釣行へと変化していきます。
サクラマスをターゲットにした頃から、ヒラメを狙うようになり、そこから通年同じタックルで釣り歩くスタイルへと辿り着きます。
書いていると、「まだまだ伝えたいことがいっぱいあるなぁ」と思ってしまいますが、読まれている方にとっては、ただの昔話。
つまらない内容かもしれませんが、きっと同じような体験をなさった方もいると思います。
少しずつですが、こんな感じで思い出話も書いていこうと思います。